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浦和地方裁判所 昭和36年(わ)94号 判決

被告人 坂本忠雄

明三九・二・一一生 宅地建物取引業

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、「被告人は昭和三十五年三月十八日午後二時頃川口市飯塚町一丁目二十二番地所在の金物行商岩瀬福三所有の木造平家建トタン葺物置一棟(建坪約二坪)を破壊し、右岩瀬所有の建造物を損壊したものである。」と云うのであるが、山野吉次の検察官に対する供述調書の記載、証人布川優同岩瀬福三の各証言、被告人の当公判廷の供述、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の各記載、山野操外二名と被告人間の土地賃貸借契約書、右契約金及び地代の領収証の各記載、証人鈴木優の証言、当裁判所の検証の結果並びに証人岩瀬はるの証言及び同人の川口簡易裁判所の証人調書抄本の記載を綜合すると、

一、被告人は昭和二〇年四月頃から川口市飯塚町二二番地の現住居に、また岩瀬福三は同年一〇月頃から被告人の隣家に夫々居住していること。

二、被告人及び岩瀬の居住している各家屋は、いずれも山野定次郎所有の宅地三〇坪八合の上にあり、いずれも右山野の所有に属し、両名とも右山野から夫々その家屋を賃借していたこと。

三、当時終戦前後の食糧難時代に当り、右家主山野の好意により、同じく同人所有の隣接地(同町二三番地の四宅地一五坪五合、本件物置のある土地である)が空いていたので菜園として無償で使用を許して貰つていたこと。

四、その後、食糧難が去つてからも、被告人及び岩瀬の両名は物干場或は材料置場として、殊に岩瀬はその一隅に本件物置を作つて、夫々占有を続けていたこと。

五、その間、昭和二四年一一月頃、家主山野は右各家屋を両名に賃貸中のまま税金の代りに物納し、その後昭和三三年一〇月被告人及び岩瀬は大蔵省からその各占有家屋の払下譲渡を受けたこと。

六、その間、地主山野(定次郎は昭和二三年死亡し山野操外二名が共同相続した)との契約関係が曖昧なまま放置されていたが、昭和三四年になつて、地主は布川優を代理人として、被告人及び岩瀬に対し、各所有家屋の敷地につき賃貸借契約を明確にしたいこと及び隣接空地(本件物置のある土地)につき従来の使用貸借を解除し、両名の何れかと賃貸借契約を結びたい旨申入れがあつたこと。

七、地主側は右空地は岩瀬の建物に接続しているため成るべくなら岩瀬に賃借して貰いたい意向であつたこと。

八、ところが岩瀬の不誠意から地主と岩瀬との折合がつかず昭和三五年二月二七日被告人が右空地を賃借することになつたこと。

九、そこで、地主代理人布川は、岩瀬に対して、右空地を被告人に貸すことにしたから右物置を早く取除くよう催告し、岩瀬もこれに対し別段の異議を述べなかつたこと。

一〇、右前後の事情を見聞していた被告人は、岩瀬は当然その物置を取除いてくれるものと安心しきつていたので、地主をわずらわせるまでもなく被告人自身で地主に代位して申入れれば簡単に取除いてくれるだろうと考えていたこと。

一一、本件物置は、岩瀬居住家屋の軒下に接続して下屋式に被告人の右借地上に亘り設けられたものであつて、建坪一坪七合五勺位(間口約七尺奥行約九尺)で、約二寸五分角の柱三、四本の下部を土中に埋めてささえてあつたが、下部が腐つているので別に杭を打ち込んでそれでもたせてあり、周囲はぼろぼろのつぎはぎの渋板で囲つてあり、屋根は大小不同の古トタン板をつぎはぎしたものを釘でとめ、その上に石をのせて押えてあつたが、隙間や穴もあり漏雨りする、床や天井もなくやつと人が出入できる程度のものであつたこと。

一二、ところで被告人は右借地上に次男のための居宅を建築する計画を立て、同年三月末建前できる運びとなつたので、三月中旬に基礎工事をする必要上、被告人は三月初旬頃から数回にわたり岩瀬方に赴いて右建物を同月一五日までに取除いて貰いたいと申入れた。その際岩瀬福三はいつも留守で、妻はるが応待したが、同女はその都度取毀及び明渡自体を拒絶するでもなく、「今主人がいないから」「今暇がないから」或は「手がないから」少し待つてくれと弁解していた。三月一五日を過ぎても履行しないので、被告人は「若し人手がないならば私の方で片付けてあげますから立会つて下さい」と申入れたところ、同女は別段拒否する様子もなかつたので、一七日には大工も手配した。同日被告人は妻はるにその旨伝えると、同女は主人を呼んでくると云つて一旦外出しまもなく「すぐかえるそうだから待つてくれ」と、その返事を伝えたので、被告人はその言を信じて終日待つたが、遂に福三は現われなかつた。そこで被告人は妻はるに対して明日はどうしても片付けさせて貰いたいと申入れたところ、同女は敢えて拒否することなく黙つていた。翌一八日には岩瀬夫妻は留守であつたが、念のため地主代理人布川の立会を求めて本件物置を取毀すに至つたこと。

一三、右の事情から被告人自身は、被告人が自らの費用で本件物置を取毀すことについて、右岩瀬はる従つて岩瀬福三の承諾があつたものと誤信したこと。

以上の事実が認められる。(もつとも被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書中に無断で物置を取毀したとか、刑事上の責任を感じておるとかの記載がある、この供述記載は尋問者の誘導による結果ではないかとも思考される。また、証人岩瀬福三同岩瀬はるの供述中前記認定に反する部分は信用できない。)要するに、被告人としては、叙上の経過から考えて、右岩瀬福三が本件物置の取毀を拒否し、右土地の占有を続ける意思があろうとは全く想像もしなかつたのである。権利関係は明瞭であり、且つ、物置が余りにも粗末であつたところから、事柄を極めて単純に考えた被告人は、地主代理人布川が明渡方を催告した際、右岩瀬は何ら拒絶の様子も見せなかつたし、その後の被告人自身の申入れに対しても物置取毀土地明渡自体には何等異議はない模様であり、たゞ自ら手間をかけて取毀すのを面倒くさがつているとしか思えなかつたこと。従つて、被告人が遂に待ちきれなくなつて被告人自らの手間で取毀すのならば文句はない筈だと考えたこと。そしてその旨申入れたのに対して、岩瀬はるは前記のとおり敢えて拒否することなく黙つていたことである。被告人が同女のこの態度を以つて承諾があつたものと誤信したのはまことに無理のないところである。

本件は、被告人が被害者の承諾がなかつたのにあつたと誤信してなしたものであつて、右誤信は違法性の事実に関する錯誤と云うべきである。かかる事実の錯誤は被告人の本件犯意を阻却するものであるから、本件は犯罪の成立要件を欠くことになるので、被告人は無罪である。

よつて刑事訴訟法第三三六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 西幹殷一)

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